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日新窟について | 宗教法人 日新窟

日新窟について

日新窟のあゆみ

浄土宗大本山・増上寺門前の学寮として

浄土宗大本山・増上寺門前の学寮として

日新窟の源流は、浄土宗鎮西派の大本山である芝増上寺の学寮です。江戸時代、増上寺は徳川家の菩提寺として幕府庇護の下浄土宗の布教を行い、日新窟をはじめ門前の学寮では多くの学僧が修学を行いました。

 

1680年、芝増上寺45代住職・大玄上人が学寮寮主となって以降、智堂上人、吉水玄信上人と受け継がれ、先代・吉水大智の頃に時代は幕藩体制から近代へと変わり、大正時代に寮主は小野玄妙へ引き継がれました。

浄土宗大本山・増上寺門前の学寮として

近代以降は、廃仏毀釈令や関東大震災や太平洋戦争など苦難の道が続き、特に大戦中の空襲では、増上寺及び門前寺院・学寮は三解脱門・経蔵を残していずれも焼失するなど、大きな被害を受けました。

 

小野玄妙の跡を継いだ齋藤実明は日新窟の再興を図り、1952年に日新窟は「宗教法人 日新窟」として認可され、再出発を果たしました。その後、日新窟の復興を期して芝地区の再開発に参加、2007年に現在の高層ビル内の本堂が完成致しました。

ベトナムとの関係

ベトナムとの関係

吉水大智が増上寺で修学中、ベトナムから留学中の釈心覚師と出会い、交流を深めたことが日新窟とベトナムの友好のきっかけです。ベトナム戦争当時、吉水はベトナムへ趣き自らの目で戦争の悲惨さを目の当たりにし、仏教を通してできることはないか模索を続けていました。

 

1998年、ベトナム慈厳寺の釈心智尼と印光寺の大戒壇で出会い、日本への留学を希望していたことから留学のサポートを行うようになり、以後、日本へ留学を希望する僧侶の支援を行うことで、日本とベトナムのご縁も更に緊密になっていきました。

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2011年3月11日に東日本大震災が発生、日新窟を在日ベトナム人の避難所として提供、以来在日ベトナム人のコミュニティの方々とご縁ができ、やがて在日ベトナム仏教信者会へと発展しました。

 

近年は、日本で若くして命を落とされたベトナム人留学生や研修生、技能実習生の葬儀やご遺族への遺骨の引渡しのサポートを行っております。

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